金田一耕助の事件簿068ｂ
下劣な百唇譜、卑劣な強請
「百唇譜」（横溝正史）
（「金田一耕助の新冒険」）光文社文庫
路上駐車していた
車のトランクから見つかった
女の死体。そのそばには
凶器のナイフとともに
ハートのクインとジャックの
二枚のカードが。
検出された指紋は
被害者のものだったが、
もう一つ、三ヶ月前に
殺害された男のものが…。
横溝正史の長篇作品｢悪魔の百唇譜｣の
原形となる短篇作品です。
昭和37年1月に
本作品が雑誌掲載され、
同年10月に長篇｢悪魔の百唇譜｣として
単行本化されたのですから、
本作品執筆段階において、
すでに長篇化を
構想していたのでしょう。
本短篇はまさに骨格的作品といえます。
【事件簿File-068ｂ｢百唇譜｣】
〔事件発生〕
昭和35年6月(東京)
〔依頼人〕
該当なし
※警察への捜査協力
〔捜査関係者〕
田村巡査
…成城署巡査。
車のトランクから死体を発見。
志村刑事･三浦刑事･江馬刑事
…成城署刑事。
山川警部補…成城署捜査主任。
加納警部補…高輪署捜査主任。
辰野刑事…高輪署刑事。
等々力警部…警視庁捜査一課警部。
〔事件関係者〕
本郷朱美…殺害された女性。
陳隆共(ちんりゅうきょ)
…朱美の夫(未入籍)。台湾系中国人。
貿易商社･江南産業経営。
渡部貞雄･古谷武利…江南産業社員。
山崎ナツ子…陳の家の女中。
都築克彦
…元人気歌手。交際した女性の
唇紋を集める奇癖を持つ。
殺害されている。
藤野磯吉
…都築のアパートの掃除夫。
元特務機関所属。
本作品の味わいどころ①
下劣な百唇譜･卑劣な強請
そもそも百唇譜とは何か？
女性の唇の形の紋、
｢唇紋｣(指紋ならぬ唇紋)、
つまりは｢キス･マーク｣を
ファイリングした帳簿のことなのです。
薬で眠らせ、自分が関係を持った女の
｢唇紋｣を密かに採って
集めていたわけです。
それだけならただの奇癖、
あるいは変態趣味なのですが、
眠らせておいて｢採ったもの｣だけでなく
｢撮ったもの｣もあり、
それをネタに
恐喝をしていたのですから、
横溝はあくどい人間を
創り上げたものです。
でも、その悪魔はすでに殺害され、
おそらくは百唇譜に
採られているであろう女性･本郷朱美が
今また殺害され、事件は
謎めいたものになっているのです。
本作品の味わいどころ②
死体が後部座席から
トランクに移動された謎
朱美の死体は放置された自動車の
トランクに押し込まれていたのですが、
犯行現場は別にあることが
明らかになります。
しかも死体は
最初後部座席にあったものが
トランクに移動させられていたことも
判明します。
いったいなぜそのような
手間をかけなければならなかったのか？
金田一耕助の推理が解き明かします。
本作品の味わいどころ③
物取りか情痴のもつれかそれとも
殺害現場らしい朱美の自宅は
荒らされて物色の形跡があり、
物取りの犯行の線もあります。
朱美の夫の陳は異常なまでに
嫉妬心の強い男であり、
朱美に対して疑惑の目を
向けていたことが語られます。
情痴のもつれの犯行の線も
捨てきれません。
さらには朱美が
強請られていたことがわかり、
それが殺害に至った可能性も
指摘されます。
殺人の動機は？そして犯人は？
謎が多いものの登場人物が少なく、
そのため犯人は
消去法で明らかになってしまうのが
短篇作品の泣き所でしょう。
文庫本にしてわずか40数頁の本作品は、
9ヶ月後には約4倍の
文庫本サイズにして250頁に
肉付けされ、
より複雑な構成となって完成します。
完成作品も再読しましたが、
驚きました。
他の長篇化作品とは異なり、
多くの設定が変更され、
それは骨格そのものにも及んでいます
(そのためなんと犯人も異なる！)。
おそらく横溝は、
百唇譜を中心とした強請のネタを、
もっと生かし切る設定を
模索したのでしょう。
本作品は、長篇｢悪魔の百唇譜｣の
創作過程を知る上で、
貴重な原形作品となっているのです。
｢百唇譜｣と｢悪魔の百唇譜｣、
ぜひ合わせてお読みください。
〔本書｢金田一耕助の新冒険｣収録作品〕
悪魔の降誕祭
死神の矢
霧の別荘 ｢霧の山荘｣原形
百辰譜 ｢悪魔の百辰譜｣原形
青蜥蜴 ｢夜の黒豹｣原形
魔女の暦
ハートのクイン ｢スペードの女王｣原形
〔関連：横溝正史原形作品集〕
（2023.2.10）
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